「冩楽」(以下 写楽)は福島県会津若松市のお酒です。
銘酒「写楽」は東洲斎写楽とは異次元のものだった!
“写楽”と言えば誰もが思い浮かべるのはこんな感じのデフォルメした浮世絵でしょうか。ん?福島のお酒にその名前があるということは東洲斎写楽注1って会津出身だったっけ?と思うかもしれません(実際は江戸で活躍した浮世絵師)。
しかし、今回の取材で「写楽」は東洲斎写楽とは全く異次元のもので、日本酒「写楽」という独自の世界観を築いているということがわかりました。
注1:東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
江戸時代中期の浮世絵師。生没年不詳。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られる。
上図:三世大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんせいおおたにおにじのやっこえどべえ)1794年、東京国立博物館蔵)
「写楽」を醸す宮泉銘醸は400年続く酒造りの一族、宮森家の蔵元です。本家は会津若松の酒蔵で、そこから、宮泉銘醸が分家しました。当初は本家の造りを繋いでいた東山酒造が「写楽」を造っていましたが、日本酒業界全体での経営難に陥り、2009年に蔵をたたむことに。
そこで宮泉銘醸が「写楽」の銘柄(ブランド)を引き継いだのでした。
もともとシステムエンジニアとしてお酒造りとは無縁の世界にいた宮森社長でしたが、酒蔵の経営立て直しとともに“新しいお酒を造りたい”と元来の“凝り性”な性格で酒造りに挑み、引き継いだ銘柄をさらに新しい「写楽」へと進化させたのです。なんと26歳の時だということですから驚きます。
「写楽」のプロトタイプが完成したのは2007年。その翌年には“仙台日本酒サミット”注2に初参加ながら上位入賞。しかし、その順位に納得いかなかった社長はさらに奮起して2011年にはついに1位を獲得します。
もうお気づきでしょうか。東洲斎写楽の片りんはどこにもありません。
東山酒造がかつて造っていた「写楽」では確かに、東洲斎写楽の浮世絵がラベルに使われていましたが、宮泉銘醸が造る「写楽」には全く登場しません。完成した銘酒「写楽」があるのみです。歴史、文化にとらわれない日本酒「写楽」の世界が花開いたと言えるのではないでしょうか。
もしかしたら、かつて「写楽」の造り手だった東山酒造の当主が東洲斎写楽のファンだったのかも?と思いは広がりますが、“写楽”をお酒の銘柄に起用したいきさつについては東洲斎写楽の人生同じく“謎”ということにしておきましょう。
注2:仙台日本酒サミット
「仙台日本酒サミット」とは、各蔵元が出品する市販酒を、参加者(全国の蔵元、酒販店)全員のブラインドによる唎き酒で、入賞を争う日本酒業界では権威あるコンテスト。President Style: 2019年7月24日の記事より
宮泉銘醸の二大銘柄
言うまでもなく一つは「写楽」。そしてもう一つは宮泉銘醸が創業当時から造り続けている「會津宮泉(以下 会津宮泉)」です。
「写楽」は社長の宮森義弘氏を中心に醸造し、全国の飲食店に高品質で安定したレベルの高い酒として提供しています。
一方、「会津宮泉」は社長の弟である専務取締役・宮森大和氏を中心に、“技術のチャレンジ”を続けているお酒です。こちらも全国展開を目指していますが、常にチャレンジを続けているため、多くの量を出荷するのが難しく、全国向けとしての出荷頻度は3か月に1回くらい。
「会津宮泉」も味、出来栄えともに「写楽」に肩を並べる銘酒と言われ、2018年にはSAKE COMPETITIONの純米酒部門で全国一位、国際的な日本酒コンテスト「インターナショナル・サケ・チャレンジ2020」では最高賞を獲得するなど輝かしい成績を収めています。
今後のブランド展開について宮森専務にお聞きしたところ、“ウチは常に美味い酒を造り続けていきたいので、銘柄は増やしていくつもりはありません。酒質と商品名にはプライドがあります。”という回答でした。
ますますこれからの「写楽」と「会津宮泉」に出会うのが楽しみです。
ラベルと書体について
「写楽」の書体は長のご親族が書かれたあと、社長自らがデザイン的に少し手直しされたとのことです。
金、銀の箔押しの文字も目を引きます。より高い値打ちや評価がつく、貫禄が増すという意味で“箔がつく”という表現がありますが、まさに華々しい受賞歴を持つ「写楽」「会津宮泉」にふさわしいですね。ラベルを眺めながら杯を傾けるとちょっとリッチな気分になりそうです。
ラベルと文字の色はお酒のイメージに合わせているということです。
宮泉銘醸について
昭和30年(1955年)に宮森啓治酒造場として設立。昭和39年(1964年)に宮泉銘醸株式会社として法人化。いつもならここで蔵元の歴史についてさらに詳しく述べるところですが、今回は社長で四代目の宮森義弘氏とその弟である専務の宮森大和氏について書く方が宮泉銘醸についてよくおわかりいただけると思います。
兄・義弘氏(社長)と弟・大和氏(専務)は二人ともシステムエンジニア(SE)だったという異色の経歴を持ちます。先にも書きましたが、兄・義弘氏は実家である宮泉銘醸の経営を立て直すために、SEを辞めて福島に戻ることになります。その時、同僚が開いてくれた送別会で飲んだ日本酒の美味しさに日本酒に対する今までの価値観が大きく変わったといいます。
弟・大和氏はSEとして勤務した後、国会議員の秘書になりましたが(これもビックリですね)、先に戻っていった兄・義弘氏にある日突然、一緒に酒造りをするようにと呼び戻されます。
弟・大和氏によると、とにかくがむしゃらに働き詰め、最初の5年間はプライベートな時間が一切なかったそうです。でも「初めて日本酒を美味しい!と思ったのは社長(兄・義弘氏)が造った「写楽」のプロトタイプ(2007年)を飲んだ時でした。こんな旨い酒が造れるんだと思いましたね。」と弟・大和氏。
初めの頃は、とことん突き詰めていこうとする厳しい兄と意地を見せたい弟でお互いに苦労していたこともあったといいますが、今ではすっかり良い関係だそうです。「今でも社長が造る「写楽」が一番おいしいと思います」と言う専務に、「それを聞いたら社長は嬉しいでしょうね」とコメントすると、「いえ、うちの兄弟はそんな感じじゃないので・・感動しませんよ」と照れながら?否定していたのが印象的でした。
兄・義弘氏が「写楽」を造り始めた当時の造り手は5人だった宮泉銘醸も、現在では造り手が20名に増え、生産石数も2,000石弱ということです。
最後に専務・宮森大和氏のメッセージです。
「どんな酒を造りたいかと言われると、“自分が飲みたい酒”の一言です。
初めて飲んだお酒がまずいとたぶん一生日本酒を飲まないでしょう。でも初めてのお酒をおいしいと思えばきっと日本酒を好きになるはず。「写楽」がそう思える初めてのお酒になるならこんな嬉しいことはありません。」
「写楽」をこれから飲むという方へ
「男性なら純米酒でしょうか。コクがあってきれいな酸味、うま味のバランスがよくキレもあります。女性なら純米吟醸かな。少し落ち着いた感じがいいかもしれません。」とのことでした。
取材日時:2022年3月3日(ZOOMにて)
取材協力:宮泉銘醸 株式会社 専務取締役 宮森大和氏
画像提供: 宮泉銘醸
取材後記:
取材予定時間は30分~40分程度と予想していたにもかかわらず、気が付けばあっという間に1時間超え。それほどに宮森専務のお話は熱意を感じさせる面白いものでした。日本酒「写楽」と東洲斎写楽の関係が明らかになるのかなと思っていましたが、途中からそんなことはどこへやら。
「あぁ、これはもう浮世絵の世界がどうこういうものではなく、「写楽」という日本酒の世界の話なんだ」と自然に納得させられるほどに、お酒造りへの熱い思いが感じられた取材でした。
これからお店で「写楽」に出会うたびに今日の取材の熱量までも思い出すことでしょう。