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「川中島幻舞」は長野県長野市のお酒です。
「川中島幻舞」の名前はどこから
川中島と言えば、日本人なら誰もが思い浮かべる川中島の合戦注1。上杉謙信と武田信玄が12年にわたり、肥沃な土地、北信濃の支配権をめぐり、戦いを繰り広げた戦いの総称です。その川中島町(かわなかじままち)にある蔵元、酒千蔵野(しゅせんくらの)が「川中島幻舞」を醸しています。
酒蔵の歴史は古く、創業は天文9年(1540年)。川中島の合戦が1553年(天文22年)~1564年(永禄7年)ですから、それ以前からお酒を造っていました。
武田信玄も酒千蔵野(創業当時は個人名で経営)のお酒を飲んだとされています。
注1:「川中島の戦い」とは、12年間、5回に亘る伝説の合戦の総称。宿敵である甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、北信濃の支配権を巡って戦ったが、長い戦いにもかかわらず勝敗はついていない。 1561年(永禄4年)の第4次合戦の激戦が広く知られているため、その戦場となった地名から、他の場所で行なわれた戦いも含めて川中島の戦いと呼ばれており、一般的に川中島の戦いと言ったときには、第4次合戦を指す。
(参照:刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/7085/)
創業当時から受け継がれてきた「川中島」というお酒。そこに新たな息吹を吹き込んだのが、女性杜氏の千野麻里子氏でした。「川中島」はにごり酒ですが、麻里子氏は今までにない無濾過生原酒、搾りたてのお酒を提供したいと「川中島幻舞」を造りました。
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壁紙ギャラリー KAGIROHIより
http://kagirohi.art
“幻”と“舞”、その由来は:
“まぼろし”のように間もなく消えるはかなさはあるけれど、そのはかなさの中に“思わず舞いたくなる”ような美味しさがある、そんなお酒を目指したい。それが「幻舞」の原点です。
“舞”のイメージは上村松園注2の描く、凛とする女性の姿がベースにあります。
注2:上村松園(うえむら・しょうえん)1875-1949
日本画家。気品あふれる美人画を得意とし、女性画家の独自の視点で追求する女性像に孤高の境地を打ち立てた。1948年、女性で初めて文化勲章を受章。京都市に生まれ。本名津禰(つね)。(参照:京都市京セラ美術館サイト https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210717-0912)
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当時、売れ筋だった名だたる銘酒は3文字が主流で、麻里子氏も最初はネーミングの候補として「幻舞翠(げんぶすい)」を挙げていました。“翠”は無濾過生原酒の透明感を表したかったからです。しかし、創業当時からの「川中島」をはずすわけにはいかない。一枚のラベルに漢字6文字は多すぎる。そこで思い切って「翠」を外して、「川中島幻舞」にしたそうです。
「幻舞翠」はまさにまぼろしとなった名前。麻里子氏の無濾過生原酒への想いは、お酒の中に生かされているのでしょう。
酒千蔵野のラインアップ
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純米にごり酒
長野県産の酒造好適米を使用した酒千蔵野の代表銘柄で、蔵の出荷数の約3割を占める人気商品です。丁寧に裏ごししているため、口当たりがよく、飲み口もトロリとしています。
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桂正宗 金紋
川中島の地酒。晩酌におじいちゃん、おとうさんが普段使いに飲むお酒として代々造り続けてきたお酒です。
シリーズの中にはアルコール度数21.6度の超辛口「昔酒」や、キリッとしたうま味のある「辛口」もあります。
そして麻里子氏の自信作「川中島幻舞」シリーズ
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「幻舞」は「川中島」「桂正宗」に対して、香りやうま味が強めのお酒です。
昔は香り華やかな搾りたての味は蔵人しか飲めなかった、それをみんなに飲んでもらいたいという気持ちから造ったと言います。手間がかかることもあり、4名の造り手だけでは量が増やせず限定酒となっています。
ラベルの書体は「川中島」、「桂正宗」、「川中島幻舞」ともに、書家・笠原聖雲(かさはらせいうん)氏の揮毫です。
酒千蔵野について
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前述の通り、酒千蔵野の歴史は創業480年以上前(創業1640年)と古く、名前も千野多右ヱ門酒造から千野酒造場、そして酒千蔵野と変わり、代々、千野家が家業を繋いできました。しかし、千野家は女系家族。酒造りは女人禁制の世界だったので代々、新潟の杜氏さんたちが酒造りを担ってきました。
麻里子氏も蔵元の一人娘として生まれましたが、まさか自分が酒造りをするとは思っていなかったそうです。しかし、実家がやっていることを知りたいと醸造専門の大学へ進学。その後、東京都北区滝野川にあった醸造試験場(現在の酒類総合研究所:広島県)で研修します。
そのうちにどうしても自らお酒を造りたいという気持ちが膨らみ、実家に戻りますが、蔵には入れない時代。何とか杜氏さんに頼み込んで入ったものの、蔵人としては認めてもらえないというスタートでした。
「お酒造りは“輪”が大事なんです。“流れ”というものがあって、それを乱すことはもってのほか。杜氏さんたちが黙々と仕事をするのをただ黙って見ているだけでした」と当時を振り返る麻里子氏。
数か月経ったある日のこと、蔵人の一人が体調不良で欠席。その作業を手伝うために“和”に入ることになりました。見て覚えていたことが役に立ち、和を乱すことなく自然に入れたと言います。
それから5年、“自分のお酒を造ってみたら?”という周りの後押しもあり、「川中島幻舞」を造ることになります。
「昔は、説明することはない、説明していると流れを止めることになる、醪に聞け、感覚で覚えろ、の時代でした。そして祖母は最後まで女性の酒造りに反対でしたね。」と麻里子氏。当時としては珍しかった女性杜氏の先駆者としてのご苦労が偲ばれます。
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以来、麻里子氏の挑戦は続き、最近では信州産のお米と天然水で仕込んだクリーミーな純米にごり酒・Kawanakajima Silky Whiteや、ボトル内で発酵させた生酒のKawanakajima Fuwarinなども発売されています。二つともアルコール度数をおさえてあり、シャンパングラスで飲めるように仕上がっているそうです。
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川中島でお酒を飲んだ武田信玄も、そのお酒が時代に沿って形を変えながら、女性の杜氏さんによって脈々と受け継がれているとは思っていないでしょうね。
最後に麻里子氏から:
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「川中島」に出会ったら是非、純米にごり酒を飲んで欲しいです。
戦国時代からのお酒で、近くの山に武田信玄がやって来て献上した時から、蔵の原点ともいえるお酒ですから・・
そして「幻舞」は、米のうま味を味わってほしいと思います。
取材日時:2022年7月20日(電話にて)
取材協力:(株)酒千蔵野 杜氏:千野麻里子氏
画像提供:酒千蔵野
取材後記:
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私が最初に「幻舞」に出会ったのは、近所にある讃岐うどん屋さん(麦福:名古屋市千種区)。そこの大将が大の「幻舞」ファンらしく、色々な「幻舞」を飲ませていただきました。美味しい!
それ以来、そこに「幻舞」があると飲むようになりましたが、まさか入手しづらい限定酒だったとは知りませんでした。
取材は当日の会社のご都合で初めての電話取材でした。拝顔することがかなわずとても残念でしたが、麻里子氏のお声とトーンは、とても重労働を要するお酒造りの社会で頑張ってこられたとは思えないほど優しい、柔らかなものでした。女性杜氏さんのご苦労や、武田信玄のお話、ありがとうございました。また「幻舞」の世界が広がったような気がいたします。
いつか麻里子氏おすすめの「川中島」純米にごり酒に出会うことを楽しみにしています。
ここだけの話:
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蔵元の名前である“酒千蔵野(しゅせんくらの)”、文字の順番を入れ替えると“千野酒造”になることを教えていただきました。ホントだ!そんな遊び心が隠されていたとは・・
ちょっと誰かに自慢したくなりました。