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上善如水

「上善如水」は新潟県南魚沼郡のお酒です。

「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」の名前の由来

このお酒は中国の思想家、老子の言葉である「上善は水の如し」から名付けられました。「上善」とは、最も理想的な生き方。

そのような生き方をしたいと願うなら、水のあり方に学びなさいというものです。水には学ぶべき三つの特徴があるからです。

一つ目は柔軟性。四角の器に入れれば四角に収まり、丸い器に入れれば丸く収まる。水は逆らうことなく器に準じるものです。

二つ目は謙虚な姿勢。水は低い方へ、低い方へと流れていきます。争うことなく、決して自分の能力や地位を誇示しようとしません。

三つ目は秘めた力です。やわらかで、しなやかでありながら秘めた力を持ち、万物に恵みを与えます。

老子は人間もこの水のように生きれば理想の生き方を身につけられると教えているのです。

白瀧酒造の六代目当主・高橋敏(たかはしさとし)氏(現在は七代目・高橋晋太郎氏)が新潟県越後湯沢の水で造るお酒を老子の教えと重ね合わせ、“水”をイメージして1990年9月に完成させたのが“上善如水(じょうぜんみずのごとし)”です。

その味わいは柔らかく、あらゆるものと調和してするりと喉の奥におさまります。

書体へのこだわり

上善如水

日本酒ラベルの書体と言えば、筆で書かれた流れるようなものが多いかもしれません。

その中で発売当時からひときわ目を引いたのが角ばった書体(当時のワープロにあった明朝体の一種)の「上善如水」。

また、何とカタカナで“ジョウゼンミズノゴトシ”とあります。

“じょうぜんじょすい”とか“にょすい”とか読んでしまいそうになり、フリガナを見て「そうか、そう読むのか!」とホッとした経験はありませんか?

このお酒が開発されたのは、まだバブル好景気の名残が感じられる頃。
スキーブームで新潟県湯沢町には若者が押し寄せていました。

でもなかなか日本酒を飲んでもらえない。

当時はまだ特級酒、一級酒などに分類されていた級別制度(1992年に廃止)の時代です。日本酒は「古い酒」「酔っ払いの酒」「親父臭い酒」などと悪い印象を持つ人も多くいました。

そこで“若い人にも飲んでもらいたい”という社長の強い思いから、これまでの日本酒のイメージをガラリと変えた書体にしたのです。

そして親しみやすいように読み方まで添えたというわけです。

“じょうぜんみずのごとし”と声に出して読んでみると、若い人も少し大人びた気分になったのではないでしょうか。

ボトルへのこだわり

上善如水

ボトルにもこだわりがあります。

日本酒と言えば茶瓶、緑瓶が一般的でした。それをあえて薄い水色(発売当時)を採用しました。

現在のスタンダードな銘柄「上善如水 純米吟醸」は透明のボトルです。

透明や水色のボトルは紫外線の影響を受けやすいので造り手としては敬遠しがちですが、あえて透明度の高いボトルにすることで、斬新さ、そして透明な水のイメージを優先させたのです。

透明な瓶を採用したことによる紫外線の影響は、専用化粧箱に入れることで軽減させました。

今では「上善如水 純米大吟醸」は青色、秋限定の「ひやおろしの上善如水」は赤色の瓶を使うなど、ラベルだけではなくボトルも楽しめるシリーズ展開をしています。

思わず手に取りたくなる深みのある彩は味わいとともに日本酒の豊かな楽しみ方を提供していると言えるでしょう。

上善如水

“魚沼”シリーズ

魚沼”シリーズ

「上善如水」が少し“よそ行き”の衣をまとっているのに対して、「魚沼」は“普段使い”のお酒として白瀧酒造おススメの一品です。

晩酌酒として、ほっと一息ついた時にピッタリなお酒。

白瀧酒造がある越後湯沢は米どころとして有名な魚沼地方です。

魚沼の田舎の風景を思い浮かべながら味わってほしい、という思いから「魚沼」が生まれました。

もちろん、お米も水もそして造っている人もみんな“魚沼産”です。

魚沼

チャーミングなのはラベルの形。

上部が丸くカットされているのに気が付きましたか?

これは魚沼地方の山を表しています。

空気がきれいな魚沼の山々を思い浮かべながら飲んでみて下さい。

書体も「上善如水」に負けず劣らず独創的で斬新。

日本酒銘柄の書体にしては線が細いです。

なぜなら筆は使わず、書家にモンブランの万年筆で書いてもらったというから驚きです。

この線の細さは印象的で目を引きます。

濃い目のラベルカラーに白抜きの書体、これは雪国の雪をイメージしています。

白瀧酒造について

白瀧酒造

創業は1855年(安政2年)。

創業当時の屋号は「湊屋」。

日本酒を造って旅人に振舞う飲み酒屋が本業でした。本格的に酒造りを始めたのは1894年(明治27年)から。

三代目当主・湊屋藤三郎が苗字を「高橋」に改め、同年に「白瀧醸造本舗」として、現在の白瀧酒造株式会社の原型とも言える形になりました。

白瀧醸造本舗は泉流(新潟県野積地方の杜氏集団)の流れを汲んで酒造りをしていました。

昔から泉流の酒造りをする酒蔵では“白”の漢字を酒蔵名に用いていたところから白瀧醸造本舗(現在の白瀧酒造)の“白”を取ったとも言われています。

また、白瀧の“瀧”は越後湯沢の「不動瀧」の沢の水が湊屋に流れていたことに由来します。

1951年に白瀧醸造本舗から白瀧酒造株式会社になり、現在に至ります。

白瀧酒蔵と飯士山(いいじさん)
白瀧酒蔵と飯士山(いいじさん)

取材協力:白瀧酒造(株)取締役 山口真吾氏・第三営業部 松村舞子氏
取材日:2021年9月15日
画像提供:白瀧酒造(株)

取材後記:取材には取締役の山口氏、第三営業部の松村氏のお二人が応じて下さいました。事前に質問内容をお問い合わせの上ご準備して下さったり、当日は実際の商品をご用意下さるなど大変なご協力を賜り、大変感謝いたします。山口氏が商品について熱く語られる傍らで、松村氏がソフトにそして絶妙なタイミングで内容のフォローをなさっていたのが印象的でした。

いいお話をたくさん聞かせていただいたので、その後、近くのお店で「魚沼」を発見した時には一人で思わずウォ~、これだ!と声に出したほどです。また「上善如水」と「魚沼」に出会うのが楽しみです。ありがとうございました。