「義侠」は愛知県愛西市のお酒です。
目次
「義侠」の名前はどこから?
明治時代、蔵元である山忠本家酒造は酒小売商と年間契約を結んで商いをしていました。事前に注文を受け、その受注量に基づいてお酒を仕込んでいましたが、ある時、お酒の価格が急騰します。
それでも当初の契約を守り、採算を度外視してお酒を提供し続けたことで、小売商からこれこそ“義理と任侠”のお酒だとして“義侠”という名を贈られました。これが日本酒「義侠」の始まりです。
「義侠」のラインアップ
「義侠」シリーズには漢字一文字がありますが、中には読めないものも・・
ここで是非、その意味を知って、また違った味わいを楽しんで下さい。
ちなみに「義侠」をはじめとする全ての書体は、代表取締役・山田昌弘氏のお母さま(書道師範代の資格を持つ)がお書きになったそうです。
義侠(ぎきょう)
兵庫県東条特 A地区産山田錦を使った(一部を除く)代表銘柄です。
後述の箱入り以外の「義侠」は全て右側写真のように新聞紙で包んでいます。これはまだ流通に冷蔵車などがない時代、何とか品質の低下を防ぐために考案したもの。輸出品を含め、今でもこのスタイルを変えていません。
お酒を飲む人の気持ちが暗くなってはいけないと、大きな事件や暗い事故が掲載されているものは使わないなど、包装に使う新聞記事の内容にも気を使っているそうです。
義侠:妙(たへ)
“妙なる調べ”の“妙(たえ)”です。
“妙なる”とは、不思議なまでにすぐれているさま。何ともいえないほど美しいさまを意味します。
兵庫県東条町特A地区産の山田錦を30%まで磨き醸した純米大吟醸の中取り、5年以上熟成させたものをブレンドしたお酒です。
義侠:慶(よろこび)
“よろこぶ”とは人間の基本的な感情ですが、“喜び”と“慶び”の違いは、前者が日常的な感情であるのに対し、後者は結婚式など慶事に使われる表現です。
自分はもちろん、周りの人も“よろこび”を感じる時に用いるとされるので、妙(たえ)に次ぐ、熟成酒ブレンドの銘柄にはぴったりの名前ではないでしょうか。
年に1度11月のみ出荷している超希少酒で、全国特約店への完全受注生産品です。
義侠: 游(あそび)
よく見かける“あそび”の字はシンニョウの“遊び”。ではサンズイの“遊び(あそ)”との違いは?
いずれも自由自在に行動し、移動するものという意味ですが、“道”を行くのが“遊び”で“水”を行くのが“游”という違いがあるようです。
仕込みに水を使うお酒、遊び心で造ったお酒だから字も遊んだとのことです。
40%精米と50%精米の複数年ブレンドです。
義侠:泰(やすらぎ)
天下泰平の“泰”を取りました。世の中が平和に治まり、平和なこと。やすらぎを求めて造られました。今の世の中注1に求められるものかもしれません。
純米吟醸原40%精米の冷蔵熟成酒ブレンドです。
注1:この記事の執筆中(2022年3月)はロシアによるウクライナ侵攻が行われている時期でした。
義侠: 侶(ともがら)
なかま、つれ、とも、という意味を持つ伴侶(はんりょ)から一文字取りました。“ともがら”と読みます。
人生の仲間として長く連れ添うお酒になるようにとの想いが込められています。
アルコール度数が13~14度と他の銘柄よりも低いので、少し軽めにいただけます。
義侠: 燎(かがりび)
酒米は兵庫県東条特 A地区産山田錦(酒米として最高級品種と言われる)ですが、それに奢ることなく減農薬に挑戦するなど特別栽培米を使ったお酒です。
星火燎原(せいかりょうげん)から一文字もらいました。その意味は、 最初は小さい力のものが、成長して強大になること。 「星火」は星の光のように小さなもの。 「燎原」は広野を焼き払うこと。
一口のお酒が身体中に広がっていく様が想像できるようですね。
「義侠」シリーズでは唯一の赤色ラベルです。
義侠:縁(えにし)
“縁(えん)”と書いて“えにし”と読ませます。
お酒をきっかけにご縁が生まれるとよいですね。
蔵内3年以上常温熟成酒です。
義侠:はるか
だらだらと軽く、そしてゆっくり長く飲めるお酒として造られました。
長い(年月が遠い)という意味の“はるか”の文字の後ろには薄墨で“遥”、“悠久”という文字が入っている凝りようです。
参照: 小学館デジタル大辞泉
TRANS Bizサイト https://biz.trans-suite.jp/
広辞苑 第七版
山忠本家酒造株式会社について
歴史
江戸時代中期に創業。初期の頃は“山忠の酒”として出していましたが、酒税法も何もない無法時代。酒販店が勝手に加水して薄める注2など、ひどい時代もありました。また、生産量も7000石という時期もありましたが、その約9割を灘の酒の受託醸造に割いていました。
しかし、十代目当主・山田明洋氏が、“地元に根差したお酒を造り、地元に恩返しをしたい”,そのためには「義侠」で食べていくとして、すべての受託醸造を中止しました。その後、現在の十一代目・山田昌弘氏が後継者となり、現在に至っています。
注2:加水したお酒があまりにも薄かったため、金魚も泳げる“金魚酒”と呼ばれるものもあったとか。
十一代目・山田昌弘氏が「義侠」造りの後継者になるまで
蔵元の男子として生まれたからには、後継者として親からの期待を受けて当然。しかし、長男、次男(現在の十一代目当主)ともに一度も後を継ぐように言われたことはなく、“好きな大学に行って好きなことをやれ”というのが先代の口癖でした。
果たして、お酒造りとは無縁の大学に進みますが、社会に出てみると“カッコ悪い”大人ばかり。では“カッコいい大人”とは何だろうと突き詰めたところ、自身の父親であったと気が付き、地元に帰ります。
それでもすぐには認めてもらえず、一般企業へ就活してみたり、中小企業で3年修行したりでようやく「義侠」造りに携わることになったのです。
お酒は嗜好品。嗜好品造りに正解はない、というスタンスのもとに十代目からお酒造りを一から学びます。そして知識より、味、ニュアンスを掴むことの大切さを知ります。
しかし、お酒造りは杜氏一人でできるものではなく、“チーム義侠”として取り組みたいという体制を重視しているため、スタッフ全員が作業を分担し、意見しやすい環境づくりを目指しています。そのため、山田氏は杜氏ではなく代表者として、またもう一人が“製造責任者”としてチームを支えていくという蔵元です。
「義侠」をオープン価格で酒販店に卸す理由
「義侠」は酒販店に全てオープン価格で卸します。つまり、酒販店が販売価格を決めてよいということです。それは、蔵元から離れている地域の方が送料が高くなることで、酒販店の利益が薄くなるというのを避けるためです。
例えば、決められた価格で赤字になっても販売し、先行かなくなる酒販店をなくしたいという思いからです。ここにも「義侠」の精神が受け継がれているわけですね。
今後の山忠本家
お酒の造り手としてお酒を造るだけではなく、酒販店、飲食店、そして個人の愛飲家までをも視野に入れている山田氏、今後も新しい企画を考案中とのこと。「義侠」に馴染みがなかった人たちが、「義侠」の世界に足を踏み入れるきっかけになることはまちがいなさそうです。
最後に十一代目・山田昌弘氏からのメッセージです。
「お酒に馴染みのない人はとにかく色々なお酒を飲んで欲しい。最初に飲んだお酒が合わなかったからといってやめてしまわず、色々なお酒を飲むうちにきっと自身に合ったものに出会えるはず。「義侠」は入りにくいお酒かもしれません。でも4番目、5番目でもいい、そのうち「義侠」の良さがわかってもらえればいいと思っています。」
「私は決して大衆よりではなく“麻薬のようなお酒”を造りたい”と思っています。また飲みたい、また戻りたいというお酒です。だから酒造りをする人間は究極のエゴイストでいいと思っています。と同時に全国に1300社ある蔵元の1社であるという自覚も失わず、これからの酒造りに挑戦していきたいです。」
「人生と酒造りの師匠である十代目をいつの日か“昇華”できたら、自身の人生は“いい人生”だったと思えるでしょう。」
取材日時:2022年3月23日
取材協力:山忠本家酒造(株)
十一代目蔵元・代表取締役・山田昌弘氏
取材後記:「同じ愛知県なら来ませんか?」と訪問での取材を受けて下さった山田氏。3月の晴れた日に久々の訪問での取材でした。
お酒造りに、人生に、これからの蔵元のあり方について熱く語って下さり、1時間があっという間に過ぎてしまいました。その間、一度も視線を逸らすことなく、どんな質問にも真摯に答えて下さる姿がとても印象的でした。それでいて時々コロコロと笑う笑顔が何とも親しみやすく、失礼ながら、前からよく知っている錯覚に陥ったほどです。
蔵元としてどうしていきたいか、どのような人生でありたいかを考えている山田氏は魅力的です。
これから「義侠」を飲むときはそんな造り手の顔を思い浮かべることでしょう。
最後は搾りたてのお酒があるところへ案内して下さいました。むきたてのリンゴに囲まれているような香りと、新鮮なお酒の香りが相まって幸せなひとときでした。
お忙しい中、大変ありがとうございました。